智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく  光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ

突然に 医者が優しく なる不安 (シルバー川柳)

今までは血圧が高いから塩分に気をつけろ とか メタボだから運動しろ  とか言われていたけど、また検診に行ってその結果を聞きに行くと医者が優しい。なにかいつもと違う。もしかしたら大変重い病気で余命がわずかしかない。と言われるかもしれない。(そのような内容の川柳です)。多分、この患者さんはお医者さんの注意をあまり聞いていなかったのでないでしょうか。後ろめたいことがあるのに、急に優しくされると何か不安になるものでしょう。逆に食事も気にかけ、運動もしっかりした生活をしていて、同じように優しくされたら私たち素直に受け止め安心します。同じ優しさなのに私たちの行動、気持ちで受け止め方が変わってしまうというお話です。

こちらの川柳も同じような気持ちが描かれています。

智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく

  光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ

こちらの和讃では

阿弥陀様の智慧の功徳を表している光に限りはない。その光はこの世界でいるすべてのもの明るく照らし出そうとしている。なので、その真実を照らし出す阿弥陀様の光を頼りとして、ただただあなた自身を委ねなさい。

このような内容になると思います。浄土和讃の多くには「帰命せよ」という言葉が多く出てきます。帰命とは簡単に言うとお任せする、頼りにするといった意味です。また私たちがよくお唱えする「南無」も同じような意味合いで、インドの言葉「ナマス」から来ています。この帰命とは私たち真宗門徒がよくお唱えする正信偈の始まりも「帰命無量寿如来」から始まっています。先ほどは簡単に頼りにすると言いましたが、「帰命」は全幅の信頼を置いた上で頼りにするといった意味合いがあります。阿弥陀如来様は「摂取不捨」のお誓いを立てて如来になられましたので、私たちはただただ疑いの心もなく阿弥陀様を頼りにしてよろしいのです。阿弥陀様はただただ寛大なお気持ちで私たちを救おうという優しいお気持ちを持っているので、私たちは例え後ろめたいことがあっても何も疑うことなくただただ阿弥陀様を頼りにして「帰命」すればよいのではないでしょうか。